ナチュラリスト志願の大人たちへ捧ぐなぜ、ウッディパルなのか?家づくりに対する、私の想いをお伝えします。

(有)朝日テクノホーム 代表取締役 岡山 皓

私は以前、BE-PAL(小学館)が発刊した『野外探検大図鑑』という本に出会い、冒頭に記してあった、アマチュア・ナチュラリストの塩野米松氏の文章に強い共感を覚えました。なぜなら、私も子供のころは“立派な探検家”だったからです。塩野氏の文章は、こうです。


小さいころは探検家になりたいと思っていた。荒海を渡り、密林にわけいり、猛獣と闘って、謎の秘宝を探し出すつもりでいた。肩から磁石のついた水筒をさげ、広告の裏に書いた秘密の地図をポケットに隠し、母さんに作ってもらった弁当を持って探検に出かけた。サハラ砂漠と名づけた裏の川原に行き、大きなクルミの根元で弁当を食べ、キリマンジェロに見立てた裏山に登って、石の下から自分で隠した暗号を掘り出して「大発見だ」と心をときめかせていた。
少しだけ心変わりがすると、考古学者になったし、天文学者や昆虫学者にもなった。そのたびに、虫眼鏡をポケットに入れたし、捕虫網を背負ったり、新聞紙を束ねて野冊にした。

年月が流れ、大人になったが、探検家にも学者にもなれなかった。
それでも、心の底には夢の残骸が残っているらしく、時々“探検”に出かけた。
渓流で竿を振る時、心は生き残りをかけたサバイバルだった。
人里近くの森でキャンプを張っても、気分は密林に迷い込んだ探検家だった。
川原で形のいい石を見つけるとポケットに入れた。
セミの抜け殻や鳥の羽を見つけると、つい手が伸びてしまう。
珍しい花を見ると、胸のポケットからノートを出して、下手なスケッチをした。
子供のころとほとんど変わっていなかった。
変わったことといえば、自分が年をとったこと、持ち歩く道具が少しずつ本物らしくなったこと、行き先が裏の川原から本物の砂漠や密林になったことだった。
双眼鏡も持っているし、ナイフも、ルーペも、胴乱も、ピンセットも、捕虫網も、フィールドノートだって立派なものだ。
いい道具を持つのは大人の特権である。
しかし、心は昔のままだ。

こんな自分を何て説明したらいいだろうか。
まさか探検家、考古学者、昆虫学者、植物学者、天文学者のつもりなんて言うわけにはいかないだろう。もう小さな子供と違って、大人になったんだから。
ずうっとそんなことを考えてきて、いい言葉を見つけた。
私は自分が「ナチュラリスト志願」のアマチュア・ナチュラリストである。
これなら、森にも、川にも、砂漠にも、裏山にも、探検家のつもりになって行けるし、時には考古学者や昆虫学者になったっておかしくない。
自然は私のフィールドである。
なんたって私はアマチュア・ナチュラリストなんだから…。


1997年春、私は決意しました。アマチュア・ナチュラリストにふさわしい、自然を大切にした家を作ろう…と。いい道具を持つのは大人の特権なのだから…。